ジモプチトリップvol.200 現代と共存する 楡生山古墳【吉富町】
公開日:2023年10月28日 (更新日:2024年04月16日)
ライター:Yosaroh
まだまだ様々な見所が満載のNOASエリア。地元だからこそ気軽にフラっと訪れることが出来るプチ名所を紹介していきます。
この世の中には色々な「共存」の仕方があります。今回ご紹介するのはひとつの共存の形をした名所、楡生山(にりょうやま)古墳です。
アクセス
中津市側から県道113号線を吉富方面へ進みます。吉富町直江の交差点を左折し道なりに進みます。右手にお地蔵様と点滅信号がある交差点に出たら左折し、最初の交差点をさらに左折します。少し進むと公民館へと続く脇道があります。目的地はこちらの公民館のすぐ側です。
曲がり角に目立つ目印がないのでナビで行くのがおすすめです。
公民館へ
楡生(にりょう)区の公民館へ到着しました。公民館のすぐ脇には鳥居、そして説明板らしきものがあります。
神社
こちらの神社は五社神社。見た所、側にはこちらの鳥居以外に神社の一部らしい建物はありませんでした。そこで調べた所、こちらから程近い、鈴熊寺(れいゆうじ)の隣に五社神社があるとのことです。
五社神社という名前の神社は珍しくはないのですが、あまり距離が近い場所で2ヶ所あるということは考えにくいので、おそらくこちらの鳥居はそちらの神社の鳥居と考えた方が自然かもしれません。
説明板
鳥居の横に説明板がありました。こちらの説明板によるとこちらの楡生山古墳は推定5世紀中頃の前方後円墳であるそう。前方後円墳は地域の有力者の墓の形であり、ここに埋葬されていた有力者は吉富と山国川流域の有力者であったと考えられているそうです。
この古墳の周りにも古墳があったそうなのですが1892年と1933年にこの付近の土砂を採取していた(土取り)ことから、ほとんどの古墳は消えてしまったのだとか…。こちらの古墳も一部を残しているのみだそうです。
確認してみよう
実際にどの部分がどこに残されているのかピンとこないのでマップを見てみましょう。説明板には現存している箇所のマップも記載されています。
ちょうど今私たちが見ていた場所がマップ上部の公民館の場所ですね。説明板がある場所がこちらのマップでいうと、緑の箇所の右上の辺り、1時の場所辺りです。
ということは
ということは…説明板のすぐ裏でこのガードパイプで囲まれた場所が現存の古墳というわけですね。
マップや説明板がなければこの場所が古墳だとは気付けなかったでしょう…。すぐ側には住宅があります。いつの頃からかこの古墳はこの地域の人々とこの様な形で共存していたのですね。
店舗名 | 楡生山古墳(にりょうやまこふん) |
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住所 | 〒871-0833 福岡県築上郡吉富町楡生 |
内容は2024年04月16日時点の情報のため、最新の情報とは異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。
Yosaroh
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