まだまだ様々な見所が満載のNOASエリア。地元だからこそ気軽にフラっと訪れることが出来るプチ名所を紹介していきます。
今回訪れたのは宇佐市安心院エリア。なんと自然溢れる神社に意外な文化遺産があるのだとか…。
アクセス
県道658号線を宇佐市街地方面から安心院方面へ向かい、県道716号線を右折市、県道42号線(山香院内線)を左折し、道なりに進みます。
道を曲がって少しすると左手に写真の様に佐田社板碑の案内版があります。こちらが今回の目的地の佐田神社です。
こちらの場所から少し進んだ左手にある空き地が駐車場、そして手前にあるのが神社の正面入口です。
正面入口へ
正面の入口にやってきました。
盛りだくさんな予感
早速入口の階段すぐそばに市指定文化財の看板がありました。すでに見所が盛りだくさんな予感がしますね。
境内入口の鳥居
階段を上ると更に鳥居がありました。位置と状態を考えると、こちらが先ほど看板のあった市指定文化財の鳥居だと思われます。
太さや石の状態共に時代を感じます。
境内
更に進んで境内へ行くと…。溢れる自然!
他の神社も自然豊かなのですが、こちらの神社は、より自然を感じる造りになっています。普段はあまり出てこないであろう生き物もちらほら。
石碑
境内左手に何やら見えたのでやってきてみると…。
石碑?書かれているのは「日露戦争記念碑」でしょうか。隣に更に何かあるので行ってみましょう。
佐田の文化遺産
何やら立派な建物に入っています。中にあるのは石でしょうか。
なんだろう
こういう時はまず初見の印象を楽しみましょう。
ん〜…。近付いてみても石…溶岩の様にも見えなくもないでしょうか。皆様には一体何に見えますか?
横からも
では説明板を見てみましょう。説明板によると、こちらの神社の境内にはかつて良質な鉄を精製するための反射炉があったのだそう。この石の様なものは鉄を精製した際に炉の中に残った不純物なのだそうです。
なるほど!それで溶岩の様な石の様な形なのですね。
この様な方法で鉄を精製することは、幕末の日本で西洋式の大砲どの軍事兵器製造に欠かせなかったとか。通常、このような大きな施設は幕府や藩などの大きな組織が担うイメージですが、こちらの反射炉はこの佐田地区の賀来家が建設したものであったそうです。
幕末産の遺物…。ライターは実はあまり歴史に明るくないので、幕末といえばもっとレトロなイメージだったのですが、なんとも近代的なことをしていたのですね。また、この自然豊かなエリアで、当時でも最先端であろう反射炉を運営していたのはすごい事ではないでしょうか。
広い
反射炉から更に奥へ目をやると、敷地の広いこと!遠目に舞殿の様な建物が見えますね。
天井
舞殿と思わしき建物の天井には歴史を感じさせる絵の数々があります。
通常1カ所につき文化財や史跡が1〜2個くらいだと思うのですが、すでに見所が多すぎて動揺してしまいます。
まだありそうなので先に進みましょう。
塀
こちらの塀はなんと反射炉で使用した耐火レンガが使用されているそうです。こちらも重要な史跡の一部なので触らない様にご注意ください。
また説明板
舞殿がある場所から参道方面へ少し戻ると左手に更に鳥居が見えます。位置的に県道42号線の案内板があった場所でしょうか。鳥居のすぐ脇にはまた説明板のようなものが見えます。
覚えていらっしゃいますでしょうか。県道沿いで見た案内板には「佐田社板碑」と書かれていましたよね。ということは…。
あった
説明板の場所へ行くと、史跡の「佐田社板碑」を発見しました。こちらは1333年に造られた県指定の有形文化財なのだそうです。こちらの板碑の建設者は領主であった佐田氏で、県下最大と言われる青山城という山城を建設した人物でもあるそう。
その佐田氏の館跡地の候補のひとつとして上がっているのがこちらの神社の境内なんだそうですよ。
こちらの神社の広さと見所の多さに納得です。いかがでしたでしょうか。見所満載のこちらの神社に一度足を運んでみては。
店舗名 | 佐田神社 |
---|---|
住所 | 〒872-0651 大分県宇佐市安心院町佐田 |
内容は2024年04月17日時点の情報のため、最新の情報とは異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。
Yosaroh
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。