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ジモプチトリップvol.100 【裏耶馬渓探索シリーズ】豊臣7人衆の1人が眠る… 後藤又兵衛の墓【中津市】

公開日:2021年07月24日 (更新日:2024年04月14日)

ライター:Yosaroh

まだまだ様々な見所が満載のNOASエリア。地元だからこそ気軽にフラっと訪れることが出来るプチ名所を紹介していきます。

中津市裏耶馬渓エリア…中津市民でさえあまり深くは知らないというこのエリアを今回は訪れてみました!

※ライターは新型コロナウィルス感染症予防に配慮した上で取材しています。

※ソーシャルディスタンスを保ち、感染リスクに配慮しながらお出かけください。

伊福集落へ

向かうは中津市耶馬溪町金吉にある伊福集落。

途中で一車線の道もあるので、ナビで行くのが安心です。

ナビに従って付いていくと、目的地付近でそれらしきものを発見!

案内板が!

更に少し先へ進むと、大きな案内板が!これは迷いようがないですね。

なんと、又兵衛は黒田24騎でありますが、豊臣家7人衆の1人でもあり、この墓は耶馬溪町の文化財であるようですね。

さっそく!

それではさっそく又兵衛の墓へ向かってみましょう。

存在は知っているものの、実際に行ったことはないんだよねぇ、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。かくいうライターもその1人であったりします。

ごらんの通り、案内板の場所からも近く、綺麗に整備されていてとても行きやすいですね。ふらっとドライブがてらにも◎なのではないでしょうか。

到着!

ものの1分ほどで到着です。

向かって正面が又兵衛の墓。左手にはお地蔵さまが祀られているようです。

そして又兵衛の墓の側からグワッと生えている松の立派なこと!地域の方々がとても大切にされているのが分かりますね。

又兵衛とは

「ところで、又兵衛ってどんな人?」

と思ったあなた。

この後藤又兵衛はかつて豊臣秀吉の家臣の黒田官兵衛が中津の領主となった際に反対勢力であった城井谷の宇都宮氏を降伏させた、という実績をもつ人物です。

教科書でもお馴染みの「大阪の陣」にも参戦した、とされています。通説によると、この戦により最後は討ち死にしたんだとか。

しかし、別の説では大阪夏の陣の後に所縁のあるこの場所へ来た、とされています。豊臣家の再興を願った又兵衛でしたが、豊臣家が途絶えたという噂を聞いた後にこの地で自害した、と言われています。

この墓は、それからしばらくしてから又兵衛のことを知った村人の手によって建てられたそうで、又兵衛が自死したその時にはまだ誰も又兵衛だとは知らなかったのだとか。

中津耶馬渓観光協会のホームページによると、この墓の名前が又兵衛になっていない理由として、ある事が記載されていました。豊臣の後の世は徳川。又兵衛は豊臣家の家臣ということで、その辺りの事情により又兵衛の名は記されていないのだとか…。

又兵衛の人生の終着点。死してもなお語りかけるようなその背景は複雑な心境にさせられますね。

店舗名 後藤又兵衛の墓
住所
〒871-0432 大分県中津市耶馬溪町金谷(伊福集落)

内容は2024年04月14日時点の情報のため、最新の情報とは異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。

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