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ジモプチトリップvol.84 海軍航空隊跡に残る 城井1号掩体壕【宇佐市】

公開日:2021年04月03日 (更新日:2024年04月14日)

ライター:Yosaroh

まだまだ様々な見所が満載のNOASエリア。地元だからこそ気軽にフラっと訪れることが出来るプチ名所を紹介していきます。

 

今回ライターが訪れたには城井(じょうい)1号掩体壕(えんたいごう)。戦争遺構であることは知っていましたが、掩体壕という言葉に馴染みのないライター。一体どんな場所なのでしょうか。

 

 

※ライターは新型コロナウィルス感染症予防に配慮した上で取材しています。
※ソーシャルディスタンスを保ち、感染リスクに配慮しながらお出かけください。

ナビがおすすめ

中津市街地から予想移動時間40分ほど、とそこまで遠くない場所にあるこの遺構。googleナビで向かうとスムーズです。

 

ナビ井連れて行かれた先には…それらしき建物が!

整備されたトイレと駐車場

駐車場はご覧の通り綺麗に整備されており、予想していたよりもゆったりとしたスペース。横にはトイレがあるのですが、パンフレットなどもあるので要チェックですよ。

さっそく…

さっそく掩体壕へ…

 

「ここはね、昔、航空隊の学校があったんだよ。」

 

声の方を見てみると存じ上げない方が。ラッキーなことにこの方は偶然通りかかったボランティアガイドの方で、たまに気が向いた時に宇佐神宮などでガイドをしている方なのだそう。さすが年始早々に大吉に恵まれたライター。ついてるぜ…。

(※仮にこの方をAさんと呼ばせていただきます。)

当時の戦闘機

我々もよく聞く戦闘機の零戦(ゼロせん)。Aさんによると、零戦は皇紀2600年(1940年)に作られたものなんだそう。

 

戦闘機によって97式、99式、などと名前が違うのにお気づきでしょうか。実はこれは先ほどの皇紀(こうき)という日本独自の年号によって決まっているそうです。

 

初代天皇が即位した年を皇紀元年としており、皇紀2597年に製作されたものを97式、2599年だと99式、というように名前がついており、零戦はこの中でも新しいものなんだとか。

 

なるほど…。飛行機にうといライターには全く新しい知識です。

 

そして、こちらに展示されているのが国東から引き上げられた本物の零戦のプロペラとエンジンの部分なんだそうです。

掩体壕とは

みなさんもよく知る真珠湾戦争。神風特攻隊としてこの宇佐の地から若者達が戦争に参加したのだそう。

 

掩体壕(えんたいごう)は、そんな激しい戦時中において戦闘機を隠す役割を担っていた建築物なんだそうです。

 

ご覧の通り、掩体壕の上は草むらのようになっているので真上から敵が戦闘機を見つけにくいのだそう。今でもいくつかこの掩体壕は付近に残されています。

穴?

こちらは掩体壕の中にある穴…。

 

Aさんによると、この穴は排気口である、という話や、後ろから紐を通し、戦闘機を引っ張って収納するため、などなど諸説あるのだそう。

まだまだ新しく見えますが…

保存状態がよく補修されているのかと思いきや、この掩体壕は当時のまま残っているのだそう。

 

そしてAさんからさらに興味深いお話を聞くことができました。みなさん、この写真は掩体壕内部の天井部分なのですが、あるものが見えるのが分かりますか?

 

そう。赤く丸で囲ってあるところに「靴型」が残っているんです。

 

なんとこちらは当時この掩体壕を作る手伝いをした中学生の靴跡なんです。

 

この掩体壕は、まず飛行機の収納部分に土を盛って上から踏み固めるのだそう。そして、その上からコンクリートなどを流して固めるため、土に残った少年の靴跡が転写された形となって残っているんだとか。

モニュメント

そしてこちらは道路沿いの敷地にあるモニュメント。

 

宇佐市にある滑走路跡の道路脇にもありますよね。ライターはてっきり飛行場の目印のようなものだと思っていたんですが、違ったんです。

 

Aさんによると、このモニュメントは「見上げる人」を表現しているそうで、飛行機を見上げている当時の人たちだったんです。このモニュメントの動体部分に書かれている言葉と名前は当時の隊員の家族のものなんだそう。

他にも

Aさんガイドによるお話はとても興味深いものばかりでした。そして、掩体壕とは関係ないですが、こっそり「あまり知られていない話」も教えてもらっちゃいましたよ。

 

宇佐の有名な川、「駅館(やっかん)川」の名前の由来。みなさんご存知でしょうか。

 

宇佐神宮は国の行く末を訪ねたり判断をするために天皇の勅使が度々訪れていた場所、なのはみなさんご存知ですよね。その勅使が現在の駅館川の手前に館を作ったんだとか。そしてその館で身を清めてから御神託を授かりに行ったそう。その館の名前が「駅館」で川の名前の由来になったんだそうですよ。

 

いかがでしたでしょうか。実際に展示されているその零戦の一部は現在もその姿を堂々と見せてくれています。現在の私たちの平和の大切さ、ありがたさを伝えてくれる遺構。今後もどうか永遠にこの平和が続きますように。

店舗名 城井1号掩体壕(じょういいちごうえんたいごう)
住所
〒879-0442 大分県宇佐市城井159

内容は2024年04月14日時点の情報のため、最新の情報とは異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。

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