まだまだ様々な見所が満載のNOASエリア。地元だからこそ気軽にフラっと訪れることが出来るプチ名所を紹介していきます。
今週は先週に引き続き、文化財の宝庫、耶馬渓城井エリアスペシャル第2弾!こちらの久福寺(きゅうふくじ)には夫婦愛溢れる伝説が残っているそうです。
駐車場
先週ご紹介した平田城跡からほど近い久福寺。実は専用の駐車場がないのです…。
しかしご心配なかれ!平田城跡保存会会長であり、この久福寺を管理している緑さんによると、久福寺を見学する際は、久福寺すぐそばにある岩屋地区多目的集会所、つまり地区の公民館、に駐車してもよいそうです。
駐車場はご覧の広さ。久福寺の旗も立っているので分かりやすいかと思います。
駐車場の旗が立っているところには久福寺の案内板もありますよ。
分かりやすい道順
岩屋地区の多目的集会所までつけば、案内板が分かれ道の所にわかりやすく配置されているので間違うことなく辿り着けます。
しかも今は緑さんによって整備され、遠目にも久福寺の崖の岩窟が見える様になっています。
実はこの久福寺、羅漢寺の末寺のひとつだそうで、どのような場所なのか非常に気になる所です。
宝塔
まず、階段を少し上ったところでこちらの宝塔がお出迎えしてくれます。
ただの岩と思っていませんか?
こちらは中津市の有形文化財のひとつで、室町時代のものだそう。
御堂から左側
宝塔の場所から更に階段を上った先には久福寺の御堂が。
そちらから左手を見ると迫力の景色が。
御堂と石碑が岩窟に綺麗に収まっています。
上れる
岩窟側の石の部分に近づいてみると、微妙に階段になっていました。
の…上れる!
これは上るしかない。足元に充分に気をつけて…。
夫婦愛の物語
久福寺にある岩窟は2つ。
石の階段を上った場所はそのうちのひとつで、緑さんによると、こちらはとある夫婦のお墓であるとのこと。
時は平安、1200年前のこと、京の都から子戸自売(ことじめ)という賢い女性が勝宮守(かつみやもり)に嫁入りしたそう。この、宮守は今で言うと中津市長の位だったんだとか。
それから23年が過ぎ、宮守は亡くなってしまった。子戸自売は夫の死を嘆いて位牌に供養をする毎日を過ごしていたが、子戸自売はたいそう美しい女性であったため、求婚者が後を絶たなかったんだそう。
子戸自売は再婚する気もなかった。とても賢い女性であった為、求婚を断る為に、
「山国川の水が逆さまに流れるようになれば、あなたの願いをかなえましょう。」
「太陽が西から昇るようになればあなたと結婚いたしましょう。」
などといって求婚者を退けていた。
その後、子戸自売は独身を貫き、48歳でこの世を去ったんだそう。そして今、夫婦は共ににこの久福寺のこの場所で眠っているんだとか。この話は実話と物語が合わさった話だそうです。
子戸自売は亡くなったご主人のことがたいそう好きだったんですね。求婚者への断り方がかぐや姫のようだ、なんて思うのはライターだけでしょうか。昔の賢いモテ女はきっとこうして遠回し且つダイレクトに断るのが粋だったんでしょうね。非モテ系のライターとしては少し憧れます。
そしてこの2人のお墓も中津市の文化財なんだそうですよ。
まだある文化財
最後に残るはこちらの建物。
緑さんより、右の岩窟に宮守、子戸自売夫妻のお墓、左の岩窟に薬師如来がある、との情報を頂いていたライター。
もともとこの寺にあった1000年前の仏像で、宇佐八幡人という神様が生まれ変わって※仁聞(にんもん)になり、11世紀に彫ったとされているものだそう。そしてなんと中津歴史博物館にこの仏像の実寸のレプリカが展示されているそうですよ。
しかもこの薬師如来、別府大学が査定した結果、実際に室町時代のものと分かっているそう。
※wikipediaによれば仁聞(にんもん)とは国東に28の寺を開基した伝説的な僧侶のことだそう。
これが文化財の久福寺の薬師如来
夫妻のお墓から少し進むと薬師如来が鎮座している御堂に辿り着きます…が!鍵がかかって入れない‼︎
緑さんより撮影の許可を頂いていたので扉の隙間から撮影させて頂きました。
こちらの薬師如来は悲しいことも嬉しいことも願いを聞き届けてくれる、とされているそうです。
母性の塊ですね。
みなさんも一度訪れてみてはいかがでしょうか。
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Yosaroh
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