まだまだ様々な見所が満載のNOASエリア。地元だからこそ気軽にフラっと訪れることが出来るプチ名所を紹介していきます。
ライターが訪れたのは宇佐市安心院エリア。山香町との境目付近にある今回のスポットは意外な場所でした。
アクセス
県道716号線(佐田山香線)を安心院IC方面から山香方面へ進みます。丁度、山香町との境目付近で写真のような案内板が右手に見えてきます。
一見狭そうで、車で進んでいいものか迷うかと思いますが心配なかれ。このまま車で進みましょう。
進む
のどかな道を進んで行くと沼がありました。山の中の水辺って癒されませんか。ほのぼのした気分で更に奥へ進みましょう。
意外な場所
少し車を走らせたところで駐車場へ到着しました。先ほどの景色を考えると意外と言える風景です。
墓地
駐車場の前には墓地。実はこの墓地に眠る佐田透氏は歌人であり、打倒江戸幕府を掲げた運動(尊王討幕運動)に参加していた人物です。
説明板によると、佐田氏は幕府の圧政に苦しむ人々を救うため、京都の花山院家理をを中心に花山院隊を結成したのだそう。しかし、花山院家理が大分へ向かっている際に佐田氏と隊士らは独断で四日市陣屋、中須賀の米蔵などを襲撃した為、倒幕のために戦っていた長州藩が領内にて家理を足止めしたのだとか。この独断の行動を長州藩から非難され、29歳で佐田氏は殺された、とのこと。
熱い想いが空回りしてしまったのでしょうか。同じくよく空回るライターの胸に突き刺さるものがあります。
頂上へ
墓地の頂上に着くと石の柵で囲われた墓がいくつかありました。
奥
柵の奥の方に説明板と一緒に佐田氏の墓が鎮座していました。
こちらの説明板には死因が長州藩に誤解されたことであったこと、その首が宇佐市の四日市に晒されていたが遺族によってここに埋葬されたことが書かれていました。また、左の墓は佐田氏の3人の同志の墓であるそう。
少し切ない話でしたね。同志と共に安らかに眠っていますように。
店舗名 | 佐田透墓 |
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住所 | 〒872-0654 大分県宇佐市安心院町内川野 |
内容は2024年04月17日時点の情報のため、最新の情報とは異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。
Yosaroh
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