まだまだ様々な見所が満載のNOASエリア。地元だからこそ気軽にフラっと訪れることが出来るプチ名所を紹介していきます。
今回ライターがやって来たのは宇佐市駅館(やっかん)川の側。この石碑を目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。実はこの石碑、謡曲(能の詩歌、歌詞のようなもの)「清経」の登場人物、「平清経」に関連するれっきとした名所なんですよ。
※ライターは新型コロナウィルス感染症予防に配慮した上で取材しています。
※ソーシャルディスタンスを保ち、感染リスクに配慮しながらお出かけください。
小松橋
中津市側から県道23号線(中津高田線)を宇佐市方面へ向かって進んで行くと大きな川が現れます。
この駅館川にかかる橋、小松橋の脇にひっそりと佇んでいるのが今回の目的地である「平清経の碑」です。平清経は歴史の教科書でも有名な平清盛の三男。平清盛は別名「小松内府(こまつのないふ)」とも呼ばれていたそうで、この小松橋の名はそこから来ているのだとか。
石碑と宝塔
こちらが実際の石碑と宝塔です。
謡曲の説明板によると、
ーーーーーーーーーーーー
戦国の戰の中、都落ちしてしまった平家…。そんな平家は柳ヶ浦にの沖でまたも大敗してしまう。「一体平家はこの先どうなってしまうのだろうか…。」悩み苦しんだ清経は月の晩にこの川に入り、自ら命を絶ってしまった。
その遺髪は家臣の淡津三郎の手により、清経の妻へと届けられた。事の次第を聞いた妻は夫・清経の哀れな最後に怨みの念を抱かずにはいられなかったそうだ。
そんな妻の前に現れたのが清経の亡霊だった。清経は妻になぜ死を選んだのか、どのように負けていったのかを語りに語った。そうするうちに清経の大きな苦しみは念仏を得たのち成仏した。
ーーーーーーーーーー
念仏とは自分の幸せや故人の成仏を願う意味もあるそうなので、妻の清経への想いが彼を成仏へと向かわせた、という意味なのかもしれませんね。
実は
そして実はこの宝塔、元々は柳ヶ浦の若宮八幡宮の境内にあったんだとか。こちらへ移された理由はわかっていないそうなんですが、清経が川で命を絶った場所に近いからではないか、と言われているそうです。
この地にて
そして石碑の脇に目をやると実際に見えるのが、その場所であろうと言われる駅館川。
何も知らなければ広く大きな海に続く美しい川。しかし清経の話を知った後では、何かもの悲しさを感じてしまいますね。
【合わせてオススメ♪駅館川のレアな話が読めるのはジモッシュだけ!↓】
ジモプチトリップvol.84 海軍航空隊跡に残る 城井1号掩体壕【宇佐市】
店舗名 | 平清経の碑 |
---|---|
住所 | 〒872-0001 大分県宇佐市貴船町柳ヶ浦 |
内容は2024年04月11日時点の情報のため、最新の情報とは異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。
Yosaroh
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。