まだまだ様々な見所が満載のNOASエリア。地元だからこそ気軽にフラっと訪れることが出来るプチ名所を紹介していきます。
今回ライターが再び行って来たのはジモプチトリップvol.38でも訪問した上毛町の有野地区。
なんとこちらに町指定の史跡である岩窟があるんだとか。一体どんな場所なのでしょうか。
※ライターは新型コロナウィルス感染症予防に配慮した上で取材しています。
※ソーシャルディスタンスを保ち、感染リスクに配慮しながらお出かけください。
ここは!
調べてみると、こちらの史跡には番地があったのでナビを設定していざ有野地区へ!
すると驚いた事に着いた先は…以前訪れた「耶馬渓駅跡」!!
ナビの案内は非情にも周辺地域に到着したことで終了し、絶望に暮れるライター…。
しかし!運よく近隣住民の方を発見できました。
目的の有野弘法窟は、この辺りでは「弘法さま」と呼ばれているようで、その場所へ続く道はなんと耶馬渓駅跡から道を挟んで斜め前にあったんです!
よくよく通りを見ると、写真の通りうっすらと「霊場 六番」の文字が見える案内板もありました。
道はこちら
耶馬渓駅から斜向かいに大豊建設と書かれた建物が見えるので、そちらの隣にあるこちらの道から山方面へ進んでいきます。
車で向かうとUターンが出来ないので、耶馬渓駅跡に駐車して、徒歩で向かうのがオススメ。
真っ直ぐに
山沿いの道へ入るとあとは真っ直ぐ進みます。
あぜ道を想像していましたが、舗装されているので歩きやすいですね。
道ばたに
真っ直ぐ歩いていると、何やら意味深な石碑を発見しました。
岩壁や
大師がなげた
筆の跡
隣の説明書きは全ての意味は分かりませんでしたが、要は
「伝承では弘法大師が行脚でここに来た時に、投げた筆が岸壁に当たって字が書けた、といつの頃からか里に伝えられている。実際文字があるかは(※解読出来なかったので予想)定かではないが、後の世の為にこの碑を建てる。」
大体こんな感じの事が書かれていました。
階段
石碑から更に真っ直ぐに進んで行くと、石で出来た階段を発見しました。
到着
階段を上りきると、有野弘法窟に到着しました。
岩壁の迫力がスゴイ!
よし、いざ中へ!と思ったら、入り口が封鎖されている?!
…と思いましたが、生えている竹が倒れているだけでした。
ではいざ中へ!
霊場
中へ入って正面にある御堂には「耶馬渓新四国第六番霊場」と書かれてあります。
道にあった古い案内板にも書かれていた事を思い返すと、こちらは霊場巡りの御堂のひとつのようですね。
石仏
先ほどの御堂の左右にも石仏がいくつが祀られているのですが、こちらの右手の御堂にある石仏をよくよく見てみると…ムムッ!!
弘法大師の文字が!
こちらにある石仏に関しては情報がなかったのですが、弘法大師の伝承が残る土地ということと祀られていることで、この場所自体が地域の人々から「弘法さま」の愛称で親しまれているのかもしれませんね。
岩壁に注目
そして、気になるのは伝承に残されている、弘法大師が投げた筆で書かれた「春蛇秋蚓」の文字。しかも伝承では山国川の対岸から投げたんだとか!
これは見たい!
見たい…見たい…見たい…ない(涙)!
どうやら石碑に書いてあった通り、「文字があるのかわからない」ということのようです。残念。
上毛町のホームページによると、こちらの窟は元々、修行の為の洞窟だったそうで、江戸時代には四国33ヶ所、88ヶ所の札所で有名だったんだとか。
ということは江戸時代には既に存在していたということですよね。歴史を感じます。
その歴史もなんですが、こちらの岸壁、肉眼でみると壮大ですごいんですよ。カクカクしてるところもあるので昔の人が彫ったのかな?自然の産物なのかな?なんて色々空想してしまいます。
歴史を感じる有野弘法窟。いかがでしたでしょうか。伝承にロマンを感じる場所でした。
あなたが知っている地元のプチトリップスポットを募集しています。件名に「プチトリップ」と入れてyosaroh.zimosh@gmail.comまで詳細をお送りください。
店舗名 | 有野弘法窟 |
---|---|
住所 | 〒871-0926 福岡県築上郡上毛町原井有野1911 |
内容は2024年04月16日時点の情報のため、最新の情報とは異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。
Yosaroh
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。