まだまだ様々な見所が満載のNOASエリア。地元だからこそ気軽にフラっと訪れることが出来るプチ名所を紹介していきます。
豊前市のバイパス沿いにある松。一体何なのか気になっている方もいるのではないでしょうか。そこでライターが行って調べてきました。
こんな所に
ライターがやって来たのは豊前市のバイパス沿いのある場所。ちょうど小倉方面向きに道を挟んでジョイフルが見えます。
今ライターがいる横にあるのは…
松
そう、松なんです。
小倉方面に行く時にこのバイパスを利用される方は結構多いのではないでしょうか。
かくいう私もその1人です。
なのですが…‼︎実はこの松の存在に気が付いたのは比較的最近のこと。
拝野松(おがみのまつ)と堂々と銘打たれた看板が立派です。
一体全体、拝野松とは何なのでしょうか。
看板には
松の前にある看板を見てみると、和気清麻呂(わけのきよまろ)公 拝礼地、大富神社古跡、の文字が。
この看板の裏には平成13年9月吉日と書かれており、関係者の組合らしき名前がありましたが、その他の情報は字が消えていて分かりませんでした。
これは…
他にも何かこの松についての情報はないかと探してみると、なにか文字が書かれた石を発見しました。
が…こ、これは…。
漢字以外の送り仮名などがすべてカタカナです。かなり古いものなのでしょう。
残念ながらライターには読めませんでした。
しかし!ここで終わるライターではありません。とある筋から、この場所が「道鏡事件」と関わりのある場所だという話をキャッチしました。
道鏡事件との関係とは
「どうきょう」なんて聞いた日には銅鏡…鏡?なんてお馬鹿なことが頭に浮かんでしまったライター…ですが、この道鏡は奈良時代にいた僧侶のことなんだそうです。
難しいことは省きますが、この道鏡事件と和気清麻呂、そして拝野松の関係はこういうことなのだそう。
当時の天皇(称徳天皇)から可愛がられていた僧侶の道鏡は政治にも関わるようになっていた。称徳天皇には跡継ぎがいなかった。
ある時、道鏡の弟と太宰主神が
「宇佐八幡宮のお告げで、道鏡を天皇にすれば世の中が平和になると出ました!」
というような内容のことを称徳天皇に報告した。道鏡も天皇になることを望んでおり、称徳天皇もこれに賛成した。
その後、称徳天皇は宇佐八幡宮の求めに応じて和気清麻呂を宇佐八幡宮に派遣した。
その道中、現在の豊前市にてこの拝野松から大富神社を拝んだ、という話があるのだそう。
この場所から大富神社まではそう遠くない距離。にも関わらず立ち寄らないとは、何だか切迫した雰囲気でハラハラしてしまったのはライターだけでしょうか。それとも徒歩で宇佐八幡宮まで行くのに寄り道するのが難しかったのでしょうか。想像が膨らみます。
ちなみに現在のこの松は植え替えられたものなんだそうです。
おまけのお話
ここからは拝野松とは関係ないのですが、和気清麻呂のその後が気になる方もいらっしゃるでしょう。その後の話はこういうものだそうです。
宇佐八幡宮に着いた和気清麻呂は道鏡が天皇になることを宣言しようとした時、神が巫女にこの宣言を聞くことを拒む、というお告げをした。
巫女が神に姿を現すように頼むと、巨大な僧侶の姿の神が現れ、「臣下が君主にはなれない。道鏡を排除すべきだ。」、とお告げをだした。
和気清麻呂は国に帰り、称徳天皇にその旨を報告したが、道鏡を可愛がっていた天皇は怒り、和気清麻呂を島流しにした。
しかし、別の説によれば、宇佐八幡宮に向かったのは天皇がお告げの真偽を確かめる為で、報告した和気清麻呂を島流しにしたのは怒った道鏡である、との話もあるようです。
はるばる遠方まで旅に出て正しいお告げを伝えたにも関わらず酷い目にあう和気清麻呂。可哀想です。
そんなことを考えるとなんだか切なくなる場所ですね。
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内容は2024年04月17日時点の情報のため、最新の情報とは異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。
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