地元で輝くあの人に密着!かがやくジモビトvol.3【丸家 望さん/和洋折衷..キモノで街さんぽ】
公開日:2023年11月13日 (更新日:2024年04月12日)
ライター:ジモッシュ編集部
この企画では、ノースエリア(中津市・宇佐市・豊後高田市・豊前市・吉富町・上毛町)で輝くあの人に密着取材する、かがやくジモビトの素顔に迫ります。
今回インタビューさせていただいたのは、豊後高田市にお住まいの丸家 望さん。
常に笑顔の彼女、ちょっとお話しただけでこちらも自然と笑顔になるようなオーラに不思議と惹かれました。
そんな丸家さんですが、様々な経験を経て「今」を生きていらっしゃいます。
本日は丸家さんの素顔に迫ります!
絵本作家になるのが夢だった
吉富町出身の丸家さんはもともと絵本作家になることが5歳の頃からの夢で、独学で学んでいらっしゃいました。
母子家庭だったこともあり、高校時代にはアルバイトをして生計を支えるようになりました。
絵本作家になる夢を叶えたい想いは強く、某出版社のコンクールに自身の作品を何度も送り続けていました。
ですが、なかなか芽が出ず大学に行ける財力もないことから、地元の高校を卒業後は夢をあきらめ働くことを決断します。
生きていくことに必死だった10代
高校を卒業後、すぐに地元の会社に就職。
夜も他の仕事を掛け持ちしながら生きていくために必死に働く日々を過ごしていました。
その当時はとげとげしい性格で素行も悪く「今の私ではなかった」と話す丸家さん。
現在の様子からは全く想像もできませんが、様々な苦難から母子家庭になった家庭環境は当時の女の子には精神的にきつかったのでしょう。
「生きていくため」の選択
「生きるため。」
ただそれだけの理由で働きながらお金を貯めること4年。
全く興味はなかったが、「お金に困りながら生きたくはない」気持ちと「技術系で生きていきたい」との想いから北九州の美容専門学校へ進学。
昼間は学校に併設されたサロンで働き、夜間は美容学校で学ぶ生活を送ることに。
憧れもない世界に飛び込んだことは、彼女自身の考えを強くしました。
また他の人がツライと思うようなことでも憧れがない分、何にでも挑戦することができたのだそう。
「憧れがないからこそ、辛くなかった」と丸家さん。
そう話す彼女には、「生きていく」という強い意志があったのだと感じます。
サロンで働く中で「こんな風にしたら可愛くなれるんだ」とだんだんと”美”に対して興味が湧き始めた20代。
学校を卒業後はそのままブライダルサロンでの仕事を続け、どんどんその仕事の魅力にハマっていきました。
東日本大震災をきっかけにフリーランスへ
2011年突如襲った東日本大震災。
仕事が激減し、「このまま会社員では食べていけない、一人で生きていくにはたくさん仕事をしなければ」との想いからフリーランスでやっていくことを決意。
長年勤めたサロンを退職し、フリーへ。
フリーになってからはどんな仕事も引き受け、30代は美容学校の臨時講師、ブライダル全般、企業案件、芸能関係など仕事を選ばずに必死に走り続けます。
彼女の魅力が人を惹きつけたのか、人と人とのご縁が繋がり仕事がどんどん増えていき有名人のヘアメイクを担当することもあったのだそう。
私の考えを変えてくれたお嫁さん
ある時、ブライダルで入った新婦さんが児童養護施設で育った方だったそう。
その方とお話する中で新婦さんから
「親はいなかったけど今まで幸せいっぱいだった。兄弟もたくさんいるし、今までの人生すごく楽しかった」
と丸家さんにおっしゃったそうです。
その瞬間、”親がいたけど恵まれていなかった”ということだけに執着し反発して、目に見えない”何か”にいつも怒っていた自分に「私は何に怒っているの?」と自問しハッと気づかされました。
自分を見つめなおすきっかけをくれたその新婦さんに感謝し、それからは今の丸い性格に様変わりしたそう。
「昔の私を知っている人からは、信じられない~!ってよく言われます(笑)」
今のお姿からは本当に想像がつかないくらい。
穏やかで人を幸せにするオーラをお持ちの丸家さんに変貌した背景には、そんな出来事があったのですね。
そんな中、未亡人に
お付き合いしていた方と結婚式をあげた直後、ご病気でご主人が急逝。
心が崩壊し、「死」というものを受け止められず、それまでしていた仕事が手につかなくなり、一度ブライダルの世界から離れることに。
「死」という意味が分からない。
どうしたら「死」を受け止められるのか分からない。
そんな絶望の日々を過ごしていた丸家さん。
いろんな仕事をこなしながら必死に生き抜いてこられました。
でもやっぱり「生きていかなくちゃならない。」
そんな想いからもう一度美容業界へ。
未来の子供たちのために
「死」というものを間近で体験し、いろいろな体験を経たことで考えも少しずつ変わっていきました。
「今の世の中では安心して子供を育てることが難しいのでは?」
「何もかも制限された世の中で、どうしたら世の中を変えられる?」と本気で考えたそうです。
今まで自分がしてきたことを形にしたいと思い、
「大分県には世界が誇る【温泉】【人柄】があり、世界に誇れる土地がある!」
「よし!キモノ文化を大分県で広めていく仕事をしよう!」と閃いたといいます。
まだまだ日本人が気づいていない大分県の文化や魅力を発信して、海外の人に気づいてもらい、それを世界中に広げてほしい。
丸家さんは”未来の子どもたちのため”に動き出します。
大分県への移住を決意
>>>丸家さん
「生きていくため今まで必死に走り続けてきたんです。忙しすぎて同じことの繰り返しで、全く余裕がなかったから、今後はもう少しゆっくり生きていきたいと思って豊後高田に移住することにしたんですよ」
「また、世界に誇れる素晴らしい大分県の文化を豊後高田市から発信して経済発展に貢献することで子供たちの未来をどうにか変えられないかな?って本気で考えています」
そして移住のタイミングで再婚。
2023年5月、結婚と同時に長年住んでいた北九州から大分県豊後高田市へ。
丸家さんの新たな挑戦が始まります。
これからはキモノを中心に生きていきたい
ご主人と豊後高田市に移住して半年。
他にはないちょっと変わった和洋折衷のキモノを着て街を歩けると評判になり、県内外の方が丸家さんの元に訪れています。
>>>丸家さん
「豊後高田市に行ったらキモノを着ている人が多いよね」って言われたい。
「大分県豊後高田市からキモノ文化が発展していきますように」
そう話す彼女の夢は、今もこれからも走り続けます。
いつか美容学校を豊後高田市で開けたらいいな
何となく生きていくために足を踏み入れた「美容業界」、今ではそれが彼女の支えとなり軸となっています。
”大好き”を仕事に。
「いつか豊後高田市に学校を作って、着付けやヘアメイクなどここで学べるようにしたいんです」
そう話す丸家さんはやっぱり笑顔。
この温かい笑顔の裏には壮絶な体験をしてきたとは思えないほど、幸せオーラを放っていました。
これからもずっと輝いていってほしい、そう願っています。
店舗名 | 和洋折衷..キモノで街さんぽ |
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住所 | 〒879-0623 大分県豊後高田市金谷町624-4 |
電話番号 | 080-5255-0170 |
定休日 | 土・日・祝・イベント時のみオープン(平日は予約のみ) |
URL | https://www.instagram.com/bungotakada_kimono/ |
内容は2024年04月12日時点の情報のため、最新の情報とは異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。
ジモッシュ編集部
地元が嫌いとか好きとかじゃなく地元にしか興味がありません! 噂を聞きつければ現地に足を運び、文字通り「地元をダッシュ」して情報発信中。 思い立ったら即行動!普段から目を皿にして特ダネをさがしています。
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