フォトライター「くぼ²ちゃんねる」が、地元の風景・人・物を通して感じた気付きや感動を、写真を通してお届けします。
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正しい看板
正しい看板
田川に住む友人宅へと向かう途中車のウィンドウ越しになんだか不思議な看板が目に飛び込んできた。まずはその大きさだ。タバコを売るためだけにこれだけの大きさの看板が本当に必要だろうか?しかも手書きのように見える。さらにたばこと書かれた文字のばの字だけがやけに小さいのはなぜ?遠目に見たとき「たこ?」かと思ってしまった。
一度はやり過ごしたもののその看板から感じたもやもやが晴れそうにない。少し悩んだ末、結局引き返すことにした(笑)
車を降りて辺りを見渡すと道路の向かい側に商店らしき物が存在してはいるがたばこ屋さんらしきものは見当たらない。もしかしたらその商店の中でタバコを販売しているのかもしれない。とりあえず近づいて看板をじっくり見てみる。やっぱり大きい。
その昔、大きい事はいいことだと言うCMがあった。確かヒゲの指揮者である山本直純氏が気球に乗って指揮棒を振り回すと言うオーバーアクションが受けた森永のエールチョコレートのCMだった。当時は日本人の住んでる家はウサギ小屋だと世界から揶揄された時代、昭和43年世相に乗って大ヒットした。
しかし今やそんな時代ではないとは思うが看板のもつ意味を考えると大きいほど人目につくし遠くからでもよく見える。視認性が上がることで伝えられる可能性も広がる。そう考えるとやっぱり大きい事はいいことだと言える。
次に手書きについてだが
これは単純にその方が安上がりに済むから経済的にお得である。お世辞にも上手な字とは言えないが読めないと言う程ではなくとりあえず伝えることは出来ている。だからこれもよしとしよう。
では「ば」の字が小さいのは何故?
まずは単純に間違えた?いやいや、それはないな。どう見ても「ば」の字は意図的に斜めに書いていることから間違えたのではないと考えられる。
では意図的にそういうデザインにしたのか?
きっとそうだ。なんだか変なデザインだけど不思議とインパクトはあるし人々の興味も逆に湧くだろう。だって現に一人この看板文字に喰いついている変な男がここにいることからこれもまた正しいと言える(笑)
結局この看板がやってる事は全て正しい。
看板としての使命は果たしているし人に問われれば「あぁいい仕事してますねぇ」と言ってあげたくなる存在に思えてきた。
と言うことで当初抱いてたモヤモヤはこの日の雲ひとつない青空のようにいつの間にか消え失せようとしていた。
今回もひとつの看板をめぐりいろいろ思いを巡らせているうちに
時計の針は既に午後3時を回っていた。
友達の怒ってる顔が頭に浮かぶ。こんなことしてる場合じゃない、早く行かなきゃ!僕は再び車を走らせた。
iPhoneから送信
シュールなてるてる坊主
シュールなてるてる坊主
ふと気がつけば既に梅雨入りしていて、去年よりもずいぶん遅いなぁと思ったけれど考えてみれば去年が少し早すぎただけのこと。
梅雨の時期は当たり前だけど雨が多くなる。
正直言うと雨の日はそんなに好きじゃない。
湿気を帯びた空気がまとわりつく感じが気持ち悪く、なんとなく家から出るのも億劫だし傘さしての撮影はできることならしたくない。
ところで梅雨ってどうして梅の雨って書くのかな?
考えたことある?
その昔、ちょっと調べたことがあって確か中国の揚子江付近の梅の実が熟す頃が雨期にあたることから梅と言う字が使われるようになったと記憶している。
今の時代なんでも調べればすぐにわかることなのに、なぜ梅雨(つゆ)と書くのか読むのか同じ梅雨でも梅雨(ばいう)前線と読むのか等、近頃はその最初の疑問さえ感じることが少なくなったような気がする。それって頭はすでに老化現象進行中なんだろうなぁwww
そんな梅雨に入った頃、いつもの街歩きで見つけたものは、このデジタルな時代に逆行するような「てるてる坊主?」
最後に見たのはいつの頃だったろう?思い出すのさえ困難な位
「てるてる坊主」の存在自体を忘れてた。
閉店廃業した商店の軒先に吊るされたこの「てるてる坊主」
どう見たって〇〇死体にしか見えず今にも悲しい雨が降りだしそうだ(笑)
ちょっとシュールで怖いwww
紫陽花1
紫陽花2
紫陽花3
紫陽花4
紫陽花
梅雨の花、雨が一番似合う花といえば多分ほとんどの人は紫陽花を連想するだろう。
未だ終わりを見ないコロナ禍の中、庭の紫陽花を見ながら一句、
などと言ってはみたものの僕には少々荷が重い。
そこで好きな正岡子規の句をひとつ。
「紫陽花や 昨日の誠 今日の嘘」
明治期に多くの俳句、短歌、小説を残した正岡子規の一句です。日々、薄紫から濃い紫色へと少しずつ変化する紫陽花の様子を擬人化して表現しています。同時に、「人の心も花の色のように移ろいやすいもの」という気持ちも込められています。
梔子
司馬遼太郎著 「坂の上の雲」の中で病に臥す正岡子規が秋山真之に告げる、「あなたは広い世界に出て行かれるが私にとっての世界は深い。
その深い世界の有り様をまだまだ俳句に残していきたい、このままでは死に切れん。」と言う記述があったように記憶しているが
まさに正岡子規のものを見る力や深さその世界観が表現された句ではないかと思うのです。
内容は2024年04月11日時点の情報のため、最新の情報とは異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。
ジモッシュ編集部
地元が嫌いとか好きとかじゃなく地元にしか興味がありません! 噂を聞きつければ現地に足を運び、文字通り「地元をダッシュ」して情報発信中。 思い立ったら即行動!普段から目を皿にして特ダネをさがしています。
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